もし自分が持っている株が、サイバー攻撃を受けたらどうしますか。
おそらく多くの人は「いったん売る」か「様子を見る」を選ぶと思います。
ところが池上通信機(6771)では、その最中に、ドイツの個人投資家が5%を超える株を保有していたことが分かりました。
最初は「悪材料のなかで買った、逆張りの投資家だ」と考えて記事にしました。しかし、報告書を細かく読むと、少し違う姿が見えてきました。
そこで、書類の中身を一つずつ確かめてみました。
1. 何が起きたのか
- 9月21日:外部からサイバー攻撃の可能性について、会社が調査を開始
- 9月22日:ランサムウェアグループのリークサイトに池上通信機が掲載されていた
- 9月24日:会社が「サイバー攻撃の可能性」を公表
- 9月30日:続報で、サーバー内の一部ファイルが暗号化されたことを公表
- 10月1日:デュッセン氏側の保有割合が5%を超える(報告義務発生日)
- 10月2日:ダークウェブ上への情報掲載も、会社が認識していると報告
その後:サイバー攻撃を理由に、決算発表の延期を適時開示 - 10月8日:大量保有報告書が提出される

2. 買ったのは誰か
大量保有報告書は、ある会社の株を5%を超えて持った人が、国に提出する書類です。
今回の提出者は、ドイツ在住の個人投資家アルネ・ヴォルフ・クラウス・デュッセン氏と、ご本人が代表を務める投資会社(Dr. Deussen Capital GmbH、2026年4月設立)の2者です。合算の保有割合は5.18%(37万7,500株)で、内訳は個人名義が4.22%、投資会社が0.96%です。
保有目的は純投資です。
そのうえで、会社との対話を通じて必要なら提言する可能性はあるものの、現時点で重要な提案をする具体的な予定はない、と書かれています。
「物言う株主」と決めつけるのは、まだ早そうです。

3. 「悪材料の最中に買った」のか、書類で確かめる
報告書には「最近60日間の取得の状況」が載っています。ここから逆算すると、買った時期はこうなります。
| 時期 | 株数 | 割合 |
|---|---|---|
| 8月初めより前に保有 | 328,100株 | 4.50% |
| 8月7日〜9月18日(事件の前) | 10,100株 | 0.14% |
| 9月24日〜10月1日(公表後) | 39,300株 | 0.54% |
| 合計 | 377,500株 | 5.18% |
事件の前から約4.6%を持っていて、公表後に約0.5%を足して5%を超えた、という順序です。5%を超える引き金になったのは、10月1日に投資会社が買った3万100株でした。

4. 彼は何を見ているのか(ここから推測)
過去の報告書をたどると、デュッセン氏は日本の小型株で、次の銘柄にも5%超の報告を出しています。
| 銘柄 | 保有割合 | 報告義務の発生日 |
|---|---|---|
| 日本ピグメントHD(4119) | 7.68% | 2026年6月16日(変更報告) |
| 中国工業(5974) | 6.04% | 2026年6月23日(変更報告) |
| 協立エアテック(5997) | 5.30% | 2026年8月14日(新規) |
| 古林紙工(3944) | 5.12% | 2026年8月20日(新規) |
| 池上通信機(6771) | 5.18% | 2026年10月1日(新規) |
新しく5%に届いたのは、8月中旬、8月下旬、10月初めです。
事件に反応したというより、割安な小型株を順番に集めていく中の1社に、池上通信機も入っていたように見えます。

5. 池上通信機は本当に割安か
純資産は約143億円、時価総額は約50億円で、PBR(株価が純資産の何倍か)は約0.35倍です。
ここで「なぜ安いのか」「本当に割安か」を、3つの角度から見てみます。
① 川崎の売却(一番はっきりした材料)
有報によると、池上通信機は2025年9月29日に、神奈川県川崎市の塩浜事業所(土地2,455.80㎡、建物4,880.91㎡)を譲渡する契約を結んでいます。引渡しは2026年12月の予定で、代金の全額を受け取ってから引き渡す特約になっています。
売却益は12.27億円で、今期(2027年3月期)の特別利益に計上する予定です。
時価総額約50億円の、およそ4分の1にあたります。
② 本社の土地
自分は毎週、ドンキにワインを買いに行く途中で、池上通信機の本社の前を通ります。その敷地を眺めていると、本社だけでも少なく見積もって5億円はするだろう、というのが実感です。
ただ、実感と決算書の数字は別物です。有報の「本社他(東京都大田区他)」の土地は、面積が4,414㎡、帳簿価額が13.76億円で、「他」を含んでいます。川崎の土地もこの中に入っている可能性があり、本社だけの帳簿価額は有報からは切り出せません。
時価が帳簿価額より高くて、初めて「含み益」と呼べます。
今の段階では、含み益があるとは言い切れません。登記簿を取るには費用も時間もかかるので、今の指値の水準で動くというより、もっと強いカタリストが出たときに確かめる材料だと考えています。
③ 稼ぐ力と財務の質
池上通信機は情報通信機器を手がける会社で、売上は約213億円です。
ただ、営業利益は約4億円(利益率1.9%)にとどまり、2023年3月期には約11億円の純損失も出しています。
ネットキャッシュ比率(NC比率)は、流動資産などから負債を引いた金額が、時価総額の何倍かを見る指標です。この会社は1.5前後と高く、数字の上では割安です。
ただ、中身を見ると、流動資産のうち現預金は約47億円で、在庫が約107億円、売掛金などが約80億円あります。
一方、借入は約94億円です。「現金が厚い会社」というより、「在庫と売掛金が厚く、借入もある会社」と見るのが正確です。
在庫は、売れて現金になるまでは、帳簿上の価値どおりとは限りません。

6. 自分の見方(推測です)
考えられる理由は、次の3つです。
- 事件とは関係なく、割安な資産を順番に仕込んでいる
- 川崎の不動産の売却益が実現するのを見込んでいる
- 事件で下がったところを、少しだけ買い足した
報告書からは、どれとも断定できません。
確かなのは、この60日間の記録に売却は載っておらず、事件のあとも少し買い足していた、ということだけです。
7. 投資家として見るポイント
- 決算発表の日程と、延期後の業績
- 川崎の売却が予定どおり12月に完了するか
- 現預金と借入の推移
- 自己株式の活用など、株主還元の方針
- デュッセン氏の次の報告書(買い増しか、売却か)
8. まとめ
注目すべきだったのは、情報漏洩そのものよりも、事件の前から静かに株を買い集めていた投資家がいたことでした。
市場が悪材料に注目しているあいだ、彼は池上通信機の資産価値を見ていたのかもしれません。
「市場が売っていた時に誰が買っていたのか」を大量保有報告書で確認できたのは、自分にとって初めての経験でした。
ただ、EDINETをたどって報告書を読み込み、保有状況の変化を追うのは思った以上に大変です。
今回はなかなか骨の折れる調査でしたが、その分面白さもありました。
データ編(数字を確かめたい方へ)
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 保有株数・割合(合算) | 377,500株、5.18%(発行済7,285,746株) |
| 内訳 | 個人名義307,600株(4.22%)、投資会社69,900株(0.96%) |
| 取得資金 | 合計約2億8,400万円(個人2億1,090万円、投資会社7,290万円) |
| 平均取得単価(取得資金÷株数の逆算) | 約750円(手数料などを含む可能性あり) |
| 株価(10月8日終値) | 693円 |
| 売上高(連結、2026年3月期) | 213.29億円 |
| 営業利益/純利益 | 4.07億円/3.76億円 |
| 純資産 | 143.02億円 |
| 現預金/在庫/売掛金等/借入 | 46.69億円/107.13億円/79.98億円/93.50億円 |
| 本社他の土地(面積/帳簿価額) | 4,414.34㎡/13.76億円 |
| 川崎の売却益(予定) | 12.27億円 |
出典:大量保有報告書(2026年10月8日提出)、有価証券報告書(2026年3月期)、池上通信機の適時開示、報道。投資の判断は、ご自身の責任でお願いします。
