最近、森永卓郎さんの『ザイム真理教』を読んだ。
読み終わった直後にも軽く感想を書いてみたんだが、あとから読み返してみると、自分の頭の中に浮かんだ疑問をただ並べただけの内容だった。数字がほとんど入っていない。
これじゃ本の感想というより、ただの独り言だ。
そこで、もう一度、自分で数字を調べてから書き直してみることにした。
すると、最初に読んだときとは少し違った景色が見えてきた。
そして、財務省そのものよりも、「なぜこういう仕組みになっているのか」という構造の方が気になってきた。
財務省について、それまで深く考えたことがなかった
大蔵省という名前は昔から知っていた。
かつて大きな権限を持っていたことも、不祥事などを経て大蔵省が財務省と金融庁に分離されたことも知っている。
でも、それ以上のことは正直よく分かっていなかった。
税金を集め、予算を作り、国の財政を管理する役所。
オレにとって財務省とは、せいぜいその程度の存在だった。
ところが『ザイム真理教』を読んで、一番強く心に残ったのは、「財務省は悪だ」ということではなかった。
むしろ、「なぜ、こういう仕組みになっているんだろう?」という素朴な疑問だった。
特に印象に残ったのが、森永さん自身が1980年に日本専売公社へ入社した頃の大蔵省との関係だ。
当時の専売公社では、大蔵省から予算を認めてもらわなければ、実質的に何もできなかった。予算編成期には大蔵省の主査の前で待機し、呼ばれれば数秒以内に駆けつける。さらには、予算を獲得するために架空の実験を作り、その費用をボルト1本まで積算したという体験談まで書かれている。
もちろん、これはあくまで森永さん個人の体験談だ。
ただ、ここから見えてくるのは、財務省が単に「税金を集める役所」にとどまらず、予算配分を通じて他の行政機関などに強い影響力を持ってきた、という構造だ。
ここはなかなか興味深い。
そして、ここから先は「財務省が悪い」という話ではなく、組織にどんなインセンティブが働くのかという話として考えてみたいと思った。
数字で見る「増税の30年」
まず気になったのが、消費税だ。
税率の推移を並べるとこうなる。
- 1989年4月:3%(導入)
- 1997年4月:5%
- 2014年4月:8%
- 2019年10月:10%(軽減税率8%)
税率だけを見ると、3%→5%→8%→10%という単純な階段に見える。
ところが、税収全体の中で消費税が占める割合を見ると、印象が大きく変わる。
消費税が導入された1990年度には、消費税は税収全体の約6.0%だった。
それが現在では約33.3%まで上昇し、所得税や法人税を上回る最大の税収項目になっている。
直近では、所得税が約21.2兆円、法人税が約17.9兆円。
消費税が所得税を上回ったのは2020年度だ。
つまり、消費税が導入されてから約30年をかけて、日本の税収構造そのものが大きく変わったことになる。
税率だけを追っていたら、この変化はなかなか実感できない。
数字を並べて初めて、
「ああ、本当に税収の主役が入れ替わったんだな」
と思った。
ここは本を読んだだけでは得られなかった感覚だった。
本の中で森永さんは、財務省が消費税を「社会保障財源」として位置づけていることを取り上げている。
2019年に消費税率を10%へ引き上げた際も、財務省は「消費税の引き上げ分は、すべての世代を対象とする社会保障のために使われます」と説明していた。
この説明を読んで、また疑問が生まれた。
なぜ社会保障の財源として、消費税がこれほど大きな位置を占めるようになったのか。
ここは「増税=悪」と感情的に判断するのではなく、税収構造がどう変化してきたのかを見た方が面白そうだ。
「増税が正しい」と考える組織が生まれるのか
ここは『ザイム真理教』を読んで特に考えさせられた部分だ。
財務省で働いている官僚も、一人の生活者だ。
給料から税金を払うし、買い物をすれば消費税も払う。
個人として考えれば、税負担は少ない方がありがたい。
ところが、組織というフィルターを通すと話が変わってくる。
組織には、その組織固有のインセンティブがあるからだ。
- 税収を確保する。
- 財政を管理する。
- 予算を配分する。
- 財政赤字を縮小する。
こうした目標を何十年も追い続けている組織の中にいれば、増税によって税収を確保することが「正しい政策」と考えられるようになる可能性はある。
森永さんは、これを「財政均衡主義」という考え方として批判している。
本の中では、若手官僚の中に財政均衡主義へ疑問を持つ者がいても、省内でそれを口にすると出世コースから外されるため、組織の考え方に従っていくようになる、という話も紹介されている。
これは、財務省の人間が根っからの悪人だという話ではない。
そもそも、外部から財務省という組織の内部事情を自分が断定できるわけでもない。
むしろ興味があるのは、
「組織には、その組織にとって合理的な行動を促すインセンティブが生まれる」
ということだ。
これは株式投資で企業を分析するときにも、かなり重要な視点になる。
経営者が悪人だから問題が起きるとは限らない。
経営者が自分の立場から合理的に行動した結果、株主にとって望ましくないことが起きる場合もある。
だから企業分析では、経営者の人格だけを見るのではなく、その人が置かれているインセンティブの構造を見る。
国家財政についても、同じ視点が使えるのではないかと思った。
「財源がない」を数字で考えてみる
選挙のたびに政治家は公約を掲げる。
- 減税。
- 給付。
- 社会保障の拡充。
ところが、いざ実行しようとすると、「財源がありません」という言葉が出てくる。
ここが気になって、政府の債務についても数字を調べてみた。
日本の一般政府債務残高は、2023年度時点でGDP比約240%。
2020年には約258%まで上昇し、その後3年連続で低下している。
ここで重要なのは、債務残高の金額だけを見て終わらないことだ。
名目GDPが成長すれば、債務残高のGDP比は低下する。
また、金利と名目成長率の関係も財政を考えるうえでは重要になる。
つまり、「借金が何百兆円あるか」だけでは、財政の状態を十分に説明できない。
これは企業分析と少し似ている。
企業の有利子負債だけを見て、
「借金が多いから危ない」
とは判断しない。
現預金はいくらあるのか。
投資有価証券はいくらあるのか。
営業利益は出ているのか。
キャッシュフローはどうなのか。
最終的にはB/S全体を見る。
国家財政についても、こうした「数字の裏側を見る習慣」は使えるのではないかと思った。
政府にもバランスシートがある
『ザイム真理教』の中で特に面白かったのが、政府のバランスシートを見る視点だ。
本では、財務省が公表している2020年度末の「国の財務書類」が紹介されている。
そこでは、負債総額:1,661兆円に対して、資産:1,121兆円となっている。
単純に差し引けば、資産負債差額は540兆円になる。
森永さんは、「国の借金1,000兆円超」というグロスの数字だけを見るのではなく、資産も含めたネットの数字を見るべきだと主張している。
投資家として考えると、この発想は分かりやすい。
例えば1,000万円の借金があっても、手元に1,000万円の現金を持っている人を見て、「借金漬けで破産寸前だ」とは普通は考えない。
企業分析でネットキャッシュを見るときも、負債だけではなく、現預金や有価証券などの資産を見る。
ただし、ここは国家と企業を完全に同じに考えることはできない。
企業が保有する現金と、政府が保有する道路や橋、庁舎などの資産は性質が違う。政府の資産を全部売却して借金返済に充てられるわけでもない。
だから、「政府のB/Sは企業のB/Sと同じだ」とは考えていない。
それでも、「負債だけを取り出して財政を語るのではなく、資産側も含めてB/S全体を見る」という発想には意味があると思う。
ここは清原式でNC比率を見るときの感覚と少し似ている。
重要なのは数字そのものだけではなく、
その数字の中身を見ること。
「ワニの口」とプライマリーバランス
もう一つ気になったのが、プライマリーバランス(PB)。
政府は長年、PBの黒字化を財政健全化の重要な目標としてきた。
ところが、新型コロナによって状況は大きく変わった。
添付資料で紹介されている数字では、PB赤字は2020年度に80.4兆円、2021年度に31.2兆円となっている。2020年度末には国債発行額が109兆円に達し、国の借金は単年度で102兆円増加したと本では説明されている。
それでも、その間に日本の金融市場が崩壊したわけではない。
森永さんは、財務省が使ってきた「ワニの口」というグラフも批判している。
歳出と税収の差が広がり、まるでワニが口を開けているように見えるグラフだ。
ただ、コロナ禍では、このワニの口が大きく開いたにもかかわらず、直ちに財政破綻が起きたわけではない。
ここから、「だから財政赤字はいくら増えても問題ない」と考えるのは早すぎる。
むしろ、自分が気になったのは、「では、何がどこまで悪化したら本当に危険なのか?」
ということだ。
財政赤字の金額だけではなく、インフレ率、金利、名目GDP、為替、国内の供給能力など、複数の変数を見なければ判断できない。
ここまで来ると、最初に読んだときよりも、むしろ分からないことが増えている。
国債は「借金」だけなのか
国債についても、本ではかなり踏み込んでいる。
森永さんは、満期が来た国債は必ずしも税金で完済しなければならず、借り換えという方法があることを指摘している。
ここで関わってくるのが、銀行の「信用創造」だ。
銀行は単純に誰かから預かった現金を、別の人にそのまま貸しているだけではない。
融資によって預金が生まれ、経済全体のマネーが増える。
こうした仕組みを考えると、
政府の財政と一般家庭の家計簿は、完全に同じではない。
ということが分かってくる。
ただし、ここでも森永さんの主張をそのまま結論にするつもりはない。
自国通貨建てで国債を発行できる政府だからといって、無制限に国債を発行しても問題がないわけではない。
最終的には、インフレ、金利、為替、そして国内の供給能力などが制約になる。
実際、本の中では、戦時中の財政ファイナンスによって深刻な物価上昇が起き、1935年から1947年にかけて物価が109倍になったという歴史も紹介されている。
だから、「国債はいくら発行しても大丈夫」という単純な話ではない。知りたいのは、
「どこに限界があるのか」ということ。
アベノミクスという一つの実験
この問題を考えるうえで、アベノミクスも興味深いケースになる。
2013年、黒田東彦氏が日銀総裁に就任すると、大規模な金融緩和が始まった。
日銀は年間80兆円規模で国債を購入した。
それでも、その直後に国債が暴落したわけでも、ハイパーインフレになったわけでもない。
少なくとも、「政府が国債を発行すれば、すぐに財政破綻する」という単純な説明だけでは、日本の財政と金融政策を説明できないことは分かる。
一方で、金融緩和を長期間続けた結果、円安やインフレ、国債市場への影響など、新しい問題も出てきた。
だからここでも、
- 「森永さんが100%正しい」
- 「財務省が100%間違っている」
という二択にする必要はないと思う。
見るべきなのは、どの数字が、どう動いたのか。
結局、ここに戻ってくる。
政治家と財務省の「ご説明」
政治家と財務省の関係についても、興味深い話が出てくる。
本では、2009年の衆院選で野田佳彦氏が消費税増税に反対する立場から発言していたことが紹介されている。
当時、野田氏は消費税5%の税収を12.6兆円と説明し、まず無駄遣いや天下りをなくすべきだと主張していた。
ところが、その後、野田氏が財務副大臣を経て総理になると、2012年に民主・自民・公明の三党合意で消費税増税が決まる。
森永さんは、この変化を財務官僚による「ご説明」の影響として描いている。
ここについては、自分にはまだ結論が出せない。
本当に財務省の影響だったのか。
政治家自身が財政について考えた結果だったのか。
あるいは政権運営のための政治的判断だったのか。
外から断定するのは難しい。
ただ、一つ気になったことがある。
それは、「意思決定をする人間が、どんな情報を誰から受け取っているのか」という問題。
財政、国債、金利、税制、社会保障、PB、日銀。
これらをすべて理解したうえで政策を判断するのは簡単ではない。
専門知識を持つ官僚から説明を受けること自体は当然必要だ。
問題は、説明を受ける側が、別の角度から数字を検証できるのか。
ここだと思う。
投資家の目線で国家財政を読む
ここまで考えてきて、ふと思った。
国家財政を読み解く作業は、企業分析と完全に同じではない。
でも、「数字の裏側を見る」という意味では、かなり似ている。
企業の決算を見るとき、売上や営業利益だけを見て、
「この会社は儲かっている」とは判断しない。
なぜ、その数字になったのか。
誰が、どんなインセンティブでその数字を作ったのか。
- 現金はいくらあるのか。
- 借金はいくらあるのか。
- B/Sの資産には、どんなものが入っているのか。
経営者の説明をそのまま信じるのではなく、自分で数字を確認する。
清原式でNC比率を見るときも同じだ。
NC比率が高いから即買いするのではなく、
そのネットキャッシュは何で構成されているのか。
- 現預金なのか。
- 有価証券なのか。
- 換金性の低い資産なのか。
そこまで見る。
国家財政でも同じように考えてみる。
- 「国の借金が○○兆円です」と言われたら、
「資産はいくらあるの?」と見る。 - 「財源がありません」と言われたら、
「予算のどこに、いくら使っているの?」と見る。 - 「増税が必要です」と言われたら、
「どの税目を、誰が、どれだけ負担するの?」と見る。 - 「財政破綻します」と言われたら、
「何の数字が、どこまで悪化すると破綻するの?」と見る。
これが、投資家として身につけてきた「疑って数字を見る」という習慣なんだと思う。
数字を調べたら、逆に分からないことが増えた
今回、自分で数字を調べてみて、財政について詳しくなったかというと、むしろ分からないことが増えた。
なぜ消費税は、導入から30年余りで税収の3割を超えるまで比重を高めたのか。
なぜ「財源がない」という言葉で、多くの政策が止まってしまうのか。
財政赤字の何が本当のリスクで、何が政策上の判断なのか。
どこまでが財政上の制約で、どこからが政治的な優先順位なのか。
そして、その意思決定の中で、誰にどんなインセンティブが働いているのか。
まだ自分には答えが出ていない。
そして、森永さんの主張をすべて正しいと思ったわけでもない。
むしろ今回感じたのは、本を読んだから答えが分かったのではなく、数字を調べたことで「本当にそうなのか?」という疑問が増えたということだった。
これは悪いことではないと思っている。
むしろ投資家にとっては、かなり面白い状態だ。
この本を読んで一番良かったこと
『ザイム真理教』は、財務省についてかなり強い言葉で批判する本だ。
「ザイム真理教」というタイトルそのものが強烈だし、森永さんの主張に共感する人もいれば、反発する人もいると思う。
でも、「財務省は悪だ」と結論づけて終わってしまったら、少しもったいない。
逆に、「森永さんは間違っている」と最初から決めつけて読むのも同じだ。
自分にとって面白かったのは、その間にある数字を調べてみたことだった。
- 消費税はどう変わったのか。
- 税収構造はどう変化したのか。
- 政府にはどんな資産と負債があるのか。
- PBはどう動いてきたのか。
- 名目GDPと金利はどうなっているのか。
そして、それらの数字を生み出している制度や組織には、どんなインセンティブが働いているのか。
ここまで調べてみると、財務省について一つの答えを出すどころか、さらに調べたいことが増えてしまった。
でも、それでいいんだと思う。
投資では、誰かの「この株は絶対上がる」という言葉だけを信じて買うことはしない。
- 決算を読む。
- B/Sを見る。
- 数字を確認する。
- 分からなければ調べる。
そして、自分なりの仮説を作る。
国家財政についても、同じ姿勢で考えてみたい。
今回『ザイム真理教』を読んで一番良かったのは、財務省についての答えをもらったことではない。
「なぜ?」という疑問を持ち、その答えを自分で数字から探してみようと思ったことだ。
結局、本を読む意味は、答えをもらうことだけではないのかもしれない。
答えではなく、自分で調べたくなる問いをもらう。
今回の『ザイム真理教』は、自分にとってそんな一冊だった。
