権力の椅子は増えない。しかし、椅子を買える人間は増えている
最近、『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』を読んでいる。
正直に言えば、途中で何度も読むのをやめたくなった。
同じような説明が繰り返される。アメリカ、南北戦争、リンカーン、トランプ、中国の歴史。似たような構造を、何度も別の事例で説明していく。
「もう分かったよ」と思うこともあった。
しかし、読み進めるうちに、この本の中心にある考え方が少しずつ見えてきた。
それは、単なる「金持ちと貧しい人の対立」ではない。
もっと正確に言えば、
権力を求める人間が増えすぎた社会と、豊かさから取り残された大衆がぶつかるとき、社会は不安定になる。
という話だ。
自分はこの構造を、もっと身近な言葉で考えると「椅子取りゲーム」に近いと思った。
権力の椅子は増えない
椅子取りゲームでは、参加者が増えても椅子の数は増えない。
椅子が10脚しかないのに、参加者が20人、30人、100人と増えていけば、当然ながら競争は激しくなる。
最初は音楽が止まった瞬間に椅子へ座ればいい。
しかし、参加者が増えすぎると、ルールを守っているだけでは椅子に座れない人間が増えてくる。
すると、誰かが考える。
- 「椅子の近くに立っていればいいのではないか」
- 「誰かを押しのければいいのではないか」
- 「椅子を先に確保しておけばいいのではないか」
やがて、ルールを破る人間が現れる。
そして、その行動を見た他の参加者も同じことを始める。
最後には、椅子をめぐって殴り合いが始まる。
これが、この本のいう「エリート過剰生産」の本質なのだと思う。
エリートとは、単に金持ちという意味ではない。
政治家、官僚、軍人、弁護士、経営者、知識人。
社会の上位に入り、権力や地位を得ようとする人間たちだ。
経済が成長すれば、富裕層は増える。
教育が広がれば、高度な教育を受けた人間も増える。
しかし、政治的な権力の椅子は、同じ速度では増えない。
ここに問題が生まれる。
椅子を目指す人間は増える。しかし、椅子の数は増えない。
この競争が激しくなれば、エリート同士の対立が生まれる。
そして、これまで社会を支えてきたルールを破る人間が現れる。
自分は、この構造を株式市場にも感じる
ここで、自分は株式市場のことを考えた。
株式市場では、資本を持つ者がより大きな影響力を持つ。
100万円しか持っていない人間と、100億円を持っている人間では、同じ株を見ていても、できることがまったく違う。
株を買える資本力の違いそのものが、ひとつの「権力の椅子」なのではないか。
最近の村上ファンドの動きを見ていて、そんなことを考えた。
村上ファンドは、フジテレビの大株主となり、不動産運用会社とフジテレビを分社化するような戦略まで視野に入れている。
もちろん、実際の戦略や今後の展開は別途検証する必要がある。
しかし、ここで重要なのは、彼らが企業の株式を大量に取得するだけの資本力を持っていることだ。
そして、その資本力を背景に、普通の株主にはできない提案を企業に対して行うことができる。
娘の村上絢氏がファンドマネージャーとして活動できる背景には、父親から受け継いだ資産、知名度、そして資金を集める力がある。
これは単なる「投資の上手さ」だけではない。
資本が資本を呼び、資本が権力を生む。
これもまた、株式市場における椅子取りゲームではないだろうか。
株式市場の椅子は、誰かが株を買えば消えるわけではない。
しかし、企業の支配権や経営への影響力という椅子の数は限られている。
そして、資本を持つ人間が増えれば、その椅子を奪い合う競争は激しくなる。
自分は「サバンナの法則」に似ていると思った
この構造を考えていると、自分はサバンナを思い浮かべた。
雨が多く降り、草が豊かになる。
すると草食動物が増える。
草食動物が増えると、今度は肉食動物も増える。
しかし、草が無限に増えるわけではない。
やがて食料が不足する。
草食動物同士の競争が激しくなり、肉食動物同士の競争も激しくなる。
そして、生き残るための競争が激しくなる。
自分には、「エリート過剰生産」と「大衆の貧困化」も、これに似ているように思える。
経済が成長する。
富が増える。
その富を利用して、より多くの人間がエリートの座を目指す。
しかし、権力の椅子はそれほど増えない。
一方で、経済成長の果実が大衆に十分に分配されなければ、一般市民の生活は改善しなくなる。
すると社会には、
椅子を奪い合うエリート候補者
と、
椅子に座ることすらできず、不満を募らせる大衆
が増えていく。
この二つが同時に起こることが、社会を不安定にする。
トランプは「原因」ではなく「結果」なのか
この本のトランプに対する見方も興味深い。
ドナルド・トランプが大統領になった理由を、彼個人の才能だけで説明するのは不十分だという。
もちろん、トランプ自身が巨大な波を乗りこなしたことは間違いない。
しかし、波そのものを作ったのはトランプではない。
アメリカ社会には、
- エリートになろうとする人間が増えすぎた
- 一般市民の生活が不安定になった
- 既存の政治エリートへの不満が蓄積した
- 社会の分断が深まった
という巨大な圧力が存在していた。
トランプは、その圧力を政治的な力に変えた。
つまり、トランプは社会を不安定にした唯一の原因ではない。
むしろ、
すでに不安定になっていた社会が、トランプという人物を押し上げた。
と考える方が自然なのだろう。
そして、トランプは再び大統領になった
ここで、自分がこの本を読んでいて最も考えさせられたのは、著者が本を書いた後の世界だ。
この本が描いた2016年のトランプは、エリート過剰生産と大衆の不満が生み出した「あり得ない大統領」だった。
しかし、トランプはその後、再び大統領になった。
ここが重要だと思う。
もしトランプの登場が一度限りの異常現象だったなら、彼が一度敗北した時点で、社会は元に戻るはずだった。
しかし、戻らなかった。
むしろ、トランプをめぐる対立はさらに深くなった。
つまり、トランプという人物が問題なのではなく、トランプを生み出した社会構造が解消されていないということだ。
エリート過剰生産は続いている。
大衆の不満も消えていない。
そして、社会の中には「自分たちは既存のエリートから排除されている」という感覚を持つ人々が存在する。
一方で、政治やメディア、企業、金融、テクノロジーなどの各分野では、権力をめぐる競争がますます激しくなっている。
つまり、椅子取りゲームは終わっていない。
音楽はまだ鳴り続けている。
そして、参加者はさらに増えている。
スティーブという一人の人間
この本の第3章で描かれるスティーブという人物も印象に残った。
彼は、大学を卒業していない。
安定した仕事を得ることが難しい。
車の修理技術はある。
働く意欲もある。
しかし、父親の世代のような安定した生活を手に入れることができない。
彼は自分を「貧困層」だとは考えていない。
怠け者でもない。
能力がないわけでもない。
ただ、社会の中で、自分の努力が以前ほど報われなくなっている。
その不満が、政治への怒りに変わっていく。
そして、トランプの言葉に惹かれる。
自分はスティーブと同じ人生を歩んできたわけではない。
しかし、64歳になった今、自分の人生を振り返ると、彼の不安が完全に理解できないわけではない。
自分の現在の資産は、以前より減っている。
今後、この資金で生活していけるのかという不安もある。
自分の場合は、筋トレ、ランニング、株式投資が生活の中心にある。
スティーブは車と銃に夢中になっている。
趣味は違う。
人生も違う。
しかし、
自分の人生を自分の力で何とか維持しなければならない。
という感覚には、どこか共通するものがあるのかもしれない。
この本を読んで、自分が最も重要だと思ったこと
この本の議論を、自分なりに一言でまとめるならこうなる。
社会が不安定になるのは、貧しい人がいるからだけではない。
貧困化する大衆が増える。
同時に、権力を求めるエリート候補者も増える。
しかし、権力の椅子は限られている。
すると、社会の上と下の両方から圧力がかかる。
上では、エリート同士が椅子を奪い合う。
下では、大衆が「なぜ自分たちは豊かになれないのか」と怒り始める。
その二つの圧力が合流したとき、社会は大きく動く。
リンカーンの時代のアメリカ。
トランプが最初に大統領になった時代。
そして、現在のアメリカ。
もちろん、それぞれの時代はまったく違う。
歴史は同じ形で繰り返されるわけではない。
しかし、似た構造が現れることはある。
そして、自分は株式市場に戻る
ここで、自分は再び株式市場を考える。
株式市場では、資本の大きい人間ほど多くの選択肢を持つ。
株を買う。
大量に買う。
企業に提案する。
株主提案を行う。
経営陣に圧力をかける。
場合によっては、企業そのものの将来を変えようとする。
資本がなければ、こうした行動はできない。
自分のような個人投資家は、企業の支配権を奪うことはできない。
しかし、だからこそ別の戦い方をする。
自分が学んでいる清原式投資は、巨大な資本で椅子を奪いにいく方法ではない。
むしろ、誰も見向きもしない椅子の近くで、静かに待つ方法だ。
財務が強い。
現金を持っている。
株価が割安である。
しかし、市場から注目されていない。
そういう会社に、安い価格で指値を置く。
すぐに買えなくてもいい。
無理に椅子を奪わなくてもいい。
誰かが慌てて椅子から立ち上がったとき、その椅子を拾えばいい。
自分は、この投資方法に魅力を感じている。
なぜなら、資本力の差を完全になくすことはできなくても、資本力の差が生み出す競争を避けることはできるからだ。
結論
『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』は、正直に言えば長い。
同じような説明が何度も繰り返される。
途中で「もう分かった」と感じることもある。
しかし、読み終えて残った考えは明確だった。
社会が不安定になるとき、単に「貧しい人が増えた」と考えるだけでは不十分だ。
その一方で、
権力を求める人間が増えすぎている可能性がある。
権力の椅子は限られている。
しかし、椅子を目指す人間は増える。
椅子を買えるだけの資本を持つ人間も増える。
一方で、椅子から遠い場所にいる人々は、自分たちの生活が以前より良くなっていないと感じる。
その二つの力が同時に強まるとき、社会は不安定になる。
自分は、この構造をサバンナの生態系に少し似ていると思った。
- 豊かさが増える。
- 個体数が増える。
- 競争が激しくなる。
やがて、環境がすべての個体を支えきれなくなる。
そのとき、社会は新しい均衡を探し始める。
歴史は同じ形では繰り返さない。
しかし、同じような力学が、異なる時代に異なる姿で現れることはある。
この本を読んで、自分が最も強く感じたのは、
社会の崩壊は、突然始まるわけではない。
ということだった。
- その前には、必ず競争が激しくなっている。
- ルールを破る人間が増えている。
- 大衆の不満が蓄積している。
そして、誰かがその不満を政治的な力に変える。
それがリンカーンだった。
それがトランプだった。
そして、未来に誰がその役割を担うのかは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなことがある。
椅子取りゲームは、まだ終わっていないこと。
