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投資とは「自分という獣」を管理する作業だ 🦁
投資の世界を歪めるのは、
数字でも、チャートでも、ニュースでもない。
最終的に相場判断を狂わせるのは、
人間の 欲 と 恐怖 だ。
この二つは、
知識があるかどうかとは無関係に襲ってくる。
だから個人投資家にとって
最大の武器は分析力ではない。
自分の感情を判断から切り離す力、
つまり克己心だ。
ただし、これは精神論ではない。
行動として表れない克己心は、存在しない。
「知識があっても、指値は簡単に壊れる」📉
例えば、
会社四季報オンラインで資産銘柄をスクリーニングし、
清原式でネットキャッシュ比率を計算し、
理論上の適正指値を「900円」と算出したとする。
ここまでは、ただの作業だ。
問題はマーケットが開いてから起きる。
指数は上昇し、
SNSは強気一色になり、
板には成行買いが並び始める。
その瞬間、頭の中に声が湧く。
「今買わなければ置いていかれる」
「少しだけ指値を上げても問題ないのではないか」
需給が悪化しているデータを
自分で確認しているにもかかわらず、だ。
これは判断ミスではない。
ロジックが感情に上書きされる現象だ。
指値を動かした瞬間に、すでに負けている
2025年、重工三兄弟が相場の主役になった局面で、本来は「落ちてくるまで待つ」前提だったIHIに対し、指数の強さと周囲の上昇に引きずられ、事前に決めた指値を場中で引き上げた。
その時点で、自分の戦略はすでに崩れていた。
ネットキャッシュでも、需給でもなく、
「置いていかれる恐怖」が判断軸にすり替わっていたからだ。
結果は、約定後の急落と損切り。
問題は損切りしたことではない。
指値を動かした瞬間に、すでに負けていた
この事実を記録できたかどうかが全てだ。
克己心は「判断ログ」でしか測れない
克己心は、気合でも根性でもない。
評価基準は一つしかない。
その場で何をしたか。
- 事前に決めた指値
- その根拠(NC比率、需給、前提)
- 場中に修正したかどうか
- 修正したなら、その理由
これだけを書き残す。
結果(勝ち負け)は二の次だ。
ルールを守ったかどうか、
それだけが克己心の測定値になる。
失敗を認めることも克己心だ 🪞
克己心というと「我慢する力」だと思われがちだが、
もう一つ重要な側面がある。
自分の誤りを認める力だ。
2022年、CFDで金・銀・ドル円を取引し始めた当初、
需給も構造も分からず、雰囲気だけで売買して負けた。
その後、チャート分析が少し上達し利益が出始めると、欲が出てロットを増やし、負けると感情トレードに入り、結果として資金を7回溶かした。
振り返ると、すべてに共通点がある。
- ロットを増やす判断が期待値ではなく直前の勝ち基準
- 負けを取り返すためのエントリー
- 事前シナリオが存在しない
相場が悪かったわけではない。
ルールのない自由が、資金を溶かしていた。
規律は自由の代償 🌊
投資は自由度が高い。
誰にも指示されず、誰にも管理されない。
だからこそ、
自分で自分を縛れない人間は
必ず市場に縛られる。
清原式は、銘柄選定法ではない。
感情が入り込む余地を、先に潰すための仕組みだ。
自分の規律は単純だ。
- NC比率が基準未満なら買わない
- 指値は事前に決め、場中に動かさない
- 市場が熱狂している時ほど何もしない
衆議院選挙後、日経平均が56,000円を超え、1日で2,000円上昇した日も、淡々と資産銘柄と収益銘柄のデータを整理していた。
退屈だ。
だが、退屈こそが資産形成で最も価値がある。
鍛錬の記録として書いている 🏔️
このブログは、
誰かを導くためのものではない。
明日また現れるであろう、
自分自身の「欲」と「恐怖」に備えるためのログだ。
克己心とは才能ではない。
記録し、修正し、積み重ねることでしか育たない。
今日も決算短信を読み、
エクセルに入力し、
網を張り、
そして――何もしない選択をする。
最後に残るのは、
相場ではなく、自分の判断だ。
